新加納陣屋公園に戦国時代の思いを馳せ砦を設置しました
戦国時代に岐阜城を睨む先端の最適地であった新加納には、織田信長により墨俣の一夜城の直前に砦がつくられといわれています。その砦を作る中心を担ったのが徳川幕府の直参旗本となった坪内氏でありましt。
今度、新加納陣屋公園に建てられた砦からは、遥か伊吹山が綺麗に望めます。皆さんも一度、天気の良い時を見計らって公園にお越しください。
以下再掲ですが新加納砦の説明です
稲葉城を攻めるには、まだ距離がある。前線基地が必要だった。それが歴史的には有名な「墨俣の一夜城」作戦だった。
しかし、実は”一夜城作戦”はその一年前の永禄八年(1565年)に新加納でも実施されていた。その実績を受けて墨俣作戦が断行されたのだ。この話はあまり広く知られていない。
信長から稲葉城攻めの前線拠点として、各務原台地の一角である新加納に砦を造るよう命じられた藤吉郎。蜂須賀小六、前野将右衞門、坪内利定ら十数人を集めた。「稲葉城に火を放った隙を突く」秘策により敵方の大混乱を利用して、砦つくりを着手。総勢は千人に達する部隊に膨れあがっていたが、主力を担ったのは坪内衆だった。この日に備え、夏場から砦の資材となる木材を切り出し、加工しており、本番では組み立てるだけ。要するに”プレハブ工法”の手法が取られた。堀を掘り、土塁を積み上げ、またたく間に砦が姿を現した。
坪内衆はまた、馬防柵などを施すなどして敵の襲撃を持ちこたえることができた。
一夜城が構築された場所は、坪内家の菩提寺「少林寺」があるあたりだといわれている。...
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